2015年10月20日火曜日

継続することを考えよう

メディアを運営するのであれば、継続が命です。
そして、継続を意識すれば意識するほど、パソコンの前で手が止まるという状況なのではないでしょうか?

でも、実は、そんなに難しいことではないんです。

最初から継続可能なテーマを考えておけばいいんです。
仕事に関するメディアであれば、日々日常業務で起こることを記事にしたり、ネタ元のサイトをベンチマークしておいたり…。

例えば、日々日常業務から記事にするのであれば、お客さんの成功事例、失敗事例、お客様への文句、感謝などを何かが起こる度に書いていきます。
そのお客さんはなぜ成功したのか、失敗したのか、こういうコトはしちゃダメですよとか、こんなことしてもらいましたとか…。

あくまでも、自分のコトを書くということではなく、読者に有意義な情報として書くというのがポイントです。

ネタ元をベンチマークする、一番、手っ取り早い方法は、Q&Aサイトですね。
自分の分野に関する質問を見つけたら、その質問の回答を自分のサイトで展開すればいいわけです。
いつでも、誰かが質問をしてくれますので、それだけでもネタが枯れることは回避できます。

ネタ元をベンチマークする、もうひとつの方法は、競合のメディアです。
競合も同様にブログやメルマガを運営している場合、そこをベンチマークしてみてください。
そして、そこに書かれた内容に反論していくだけでいいんです。
反論としっても、「○○さんがこう言っていますが…」と名指しにするのではなく、「最近、こういうことを言っている方もいらっしゃるようですが…」と相手を特定せずに書き出します。
この方法だと、競合が何かを書くたびにネタが発生するので、ネタが枯れることはありません。

まぁ、いずれにしても、ゼロからネタを掘り起こして書き続けるには限界があり、それでもそれを続けようとするとストレスになっていきます。
ストレスになると、更新が止まってしまい、どんどん強迫観念にとらわれることになって、ますますパソコン前で手が止めるというスパイラルに陥るんです。

だったら最初から無理をせず、読者に求められる内容、知って欲しい内容を自分の日常業務やネタ元サイトから探すクセを作ってください。
そして、「こういうコトがあったら、こういう記事を書こう」といくつも決めておいて、そういうことが起こる度に記事を書けば、継続のストレスからも解放されることでしょう。

2015年8月19日水曜日

長文を書く場合

ブログは、1記事1コンテンツが基本です。
つまり、1記事につき、言いたいことはひとつということです。

しかし、書籍やセミナーなどになると、そういう訳にはいきません。
かといって、前から順番にダラダラ書いていっても、読者は飽きてしまいます。

そこで、今回は長文の場合の原稿の書き方を書こうと思います。

そうはいっても、できるだけ言いたいことは細かく分けます。
書籍であれば1節ごと、セミナーであればスライド1枚ごとに言いたいことはひとつにするべきです。

で、問題なのが話しの流れですね。

では、読者に飽きさせないようにするためにはどうすればいいのか。
そのポイントのひとつが、話しの見通しをよくすることです。

例えば、ノウハウを話すのであれば、最初にルーチンを紹介するのです。
各工程を紹介しつつ話しの分岐を作っておき、後で各工程ごとに細かく解説していきます。
次にどんな話しがくるのか分からないままに文章を読むよりも、全体像を把握して読んだ方が体系的に理解することができるんですね。

あと、もうひとつ。
それは、たんに前から順序立ててポイントを書くのではなく、最初に列挙するようにしてください。

列挙するというのは、先に「〜について3つのポイントがあります」と書いて分岐を作り、その3つを順番に書いてていきます。
そうすることで、このことに関する説明は3つあるということを理解しながら話しを聞けるので、聞いていて安心感が持てるのです。
これが逆に分岐を作らずに文章を書いていくと、読者は「この話しはどこまで続くのだろう?」「次はどんな話しをするんだろう?」「あ、次もこのことに関することか…」など、内容とは違う部分に意識がいってしまいます。

前者のように話しの見通しをよくすることを直列分岐といい、流れで説明する場合に用いる手法です。
そして、後者のように同じ扱いのものを列挙して説明することを並列分岐といい、網羅的に説明する場合に用いる手法になります。

いずれにしても、長文を書く場合は、必ず、読者が理解しやすいように分岐を作って読者が理解しやすいように工夫してあげましょう。
これは書籍などで多用するテクニックなのですが、読み手の理解も間違いなく深まりますので、是非、覚えておいてください。

2015年7月22日水曜日

編集者の必要性

弊社は、出版プロデュース会社としてソーシャルメディアでは活動しておりますが、本業は編集プロダクションです。
つまり、出版社の編集部の代わりとなって、本の編集を行う編集者軍団。

こういう仕事をしていて思うので、編集者の必要性ということです。

皆さんは、編集者の仕事というのは、何だと思いますか?

一般的には、企画立案、スケジュール管理、原稿依頼、原稿整理、原稿修正、校正、割付など、幅広い職務範囲を担当し、出版社や著者により、職務範囲が微妙に異なります。
ただ、これはあくまでも出版物の話しです。

私が編集者をしていて思うのは、出版物と他の媒体のクオリティレベルの違い。

出版物が圧倒的にクオリティレベルが高いのは、編集者の存在によるものなのではないでしょうか。
だって、著者が自分の書きたいことばかりをコントロールしているのも編集者、上がってきた日本語と思えぬ日本の文字の羅列をちゃんとした日本語に変換するのも編集者、読みやすい文章、見やすい誌面にするのも編集者ですから…。

そして、何よりも編集者が必要だと思うが、クオリティレベルの管理です。

これは実際にあった話しです。
著者さんは、情報商材などをたくさん出されていて、原稿は書き慣れている方でした。
そして、上がってきた内容もしっかりと読者目線になてますし、日本語としても問題なく、とても読みやすい原稿でした。

ただ、残念なことに、内容がちょっと薄い…。

そこで、私が「この原稿だとちょっと薄いので、もう少し、濃い内容にしてください」とお願いしました(もちろん、本人には具体的に書き足す内容を指示しております)。
ところが、その著者さんは「え〜、こんな感じで十分でしょ」と言われたのです。

もちろん、本の定価から考えれば、これぐらいでも及第点はもらえるレベルにあったと思います。
しかし、それでは、読者の読後感としては「まぁ、こんなもんかな」です。
でも、著者として本を出版する以上、読者には「この本はヤバイ!この著者さんは素敵だ〜」ぐらい言わせて欲しいと私は考えます。

なので、何度も、何度も、書き直しを依頼し、やっと仕上がり、本として刊行され、とても売れていて、レビューもいい感じについてます。
もちろん、メルマガの読者も増え、セミナーへの集客もでき、読者の多くが著者のファンになってくれています。
結果、そういう本を出せて、著者の方にも大変喜んでいただきました。

でも、これって、編集者がいなかったらどうなっていたでしょうか?

自分の物差しでクオリティレベルを判断し、そのまま出版していたら、このような結果は生まれていなかったはずです。
これだけいろいろと書き慣れている著者であっても、そのクオリティレベルを図りかねてしまいます。

逆にいうと、世のメルマガやブログ、情報商材、電子書籍など、ほぼ全てのコンテンツがそんな状態になっているように思います。

自分ではこれでいいと思っているレベルというやつですね。
ところが、そのレベルというのは、あくまでも及第点レベルであることが多く、読者をファン化させられるほどではありません。

そこを客観的に見て、自己満足のレベルから、さらにもうひとつ高いレベルに引き上げてくれる存在、そこに編集者の必要性を感じてしまいます。
何もプロの編集者である必要はありませんが、何かコンテンツを作った時、冷静な客観的な視点でクオリティレベルをチェックしてくれる存在を確保しておくことは、これからの時代に必要な気がします。