2015年8月19日水曜日

長文を書く場合

ブログは、1記事1コンテンツが基本です。
つまり、1記事につき、言いたいことはひとつということです。

しかし、書籍やセミナーなどになると、そういう訳にはいきません。
かといって、前から順番にダラダラ書いていっても、読者は飽きてしまいます。

そこで、今回は長文の場合の原稿の書き方を書こうと思います。

そうはいっても、できるだけ言いたいことは細かく分けます。
書籍であれば1節ごと、セミナーであればスライド1枚ごとに言いたいことはひとつにするべきです。

で、問題なのが話しの流れですね。

では、読者に飽きさせないようにするためにはどうすればいいのか。
そのポイントのひとつが、話しの見通しをよくすることです。

例えば、ノウハウを話すのであれば、最初にルーチンを紹介するのです。
各工程を紹介しつつ話しの分岐を作っておき、後で各工程ごとに細かく解説していきます。
次にどんな話しがくるのか分からないままに文章を読むよりも、全体像を把握して読んだ方が体系的に理解することができるんですね。

あと、もうひとつ。
それは、たんに前から順序立ててポイントを書くのではなく、最初に列挙するようにしてください。

列挙するというのは、先に「〜について3つのポイントがあります」と書いて分岐を作り、その3つを順番に書いてていきます。
そうすることで、このことに関する説明は3つあるということを理解しながら話しを聞けるので、聞いていて安心感が持てるのです。
これが逆に分岐を作らずに文章を書いていくと、読者は「この話しはどこまで続くのだろう?」「次はどんな話しをするんだろう?」「あ、次もこのことに関することか…」など、内容とは違う部分に意識がいってしまいます。

前者のように話しの見通しをよくすることを直列分岐といい、流れで説明する場合に用いる手法です。
そして、後者のように同じ扱いのものを列挙して説明することを並列分岐といい、網羅的に説明する場合に用いる手法になります。

いずれにしても、長文を書く場合は、必ず、読者が理解しやすいように分岐を作って読者が理解しやすいように工夫してあげましょう。
これは書籍などで多用するテクニックなのですが、読み手の理解も間違いなく深まりますので、是非、覚えておいてください。

2015年7月22日水曜日

編集者の必要性

弊社は、出版プロデュース会社としてソーシャルメディアでは活動しておりますが、本業は編集プロダクションです。
つまり、出版社の編集部の代わりとなって、本の編集を行う編集者軍団。

こういう仕事をしていて思うので、編集者の必要性ということです。

皆さんは、編集者の仕事というのは、何だと思いますか?

一般的には、企画立案、スケジュール管理、原稿依頼、原稿整理、原稿修正、校正、割付など、幅広い職務範囲を担当し、出版社や著者により、職務範囲が微妙に異なります。
ただ、これはあくまでも出版物の話しです。

私が編集者をしていて思うのは、出版物と他の媒体のクオリティレベルの違い。

出版物が圧倒的にクオリティレベルが高いのは、編集者の存在によるものなのではないでしょうか。
だって、著者が自分の書きたいことばかりをコントロールしているのも編集者、上がってきた日本語と思えぬ日本の文字の羅列をちゃんとした日本語に変換するのも編集者、読みやすい文章、見やすい誌面にするのも編集者ですから…。

そして、何よりも編集者が必要だと思うが、クオリティレベルの管理です。

これは実際にあった話しです。
著者さんは、情報商材などをたくさん出されていて、原稿は書き慣れている方でした。
そして、上がってきた内容もしっかりと読者目線になてますし、日本語としても問題なく、とても読みやすい原稿でした。

ただ、残念なことに、内容がちょっと薄い…。

そこで、私が「この原稿だとちょっと薄いので、もう少し、濃い内容にしてください」とお願いしました(もちろん、本人には具体的に書き足す内容を指示しております)。
ところが、その著者さんは「え〜、こんな感じで十分でしょ」と言われたのです。

もちろん、本の定価から考えれば、これぐらいでも及第点はもらえるレベルにあったと思います。
しかし、それでは、読者の読後感としては「まぁ、こんなもんかな」です。
でも、著者として本を出版する以上、読者には「この本はヤバイ!この著者さんは素敵だ〜」ぐらい言わせて欲しいと私は考えます。

なので、何度も、何度も、書き直しを依頼し、やっと仕上がり、本として刊行され、とても売れていて、レビューもいい感じについてます。
もちろん、メルマガの読者も増え、セミナーへの集客もでき、読者の多くが著者のファンになってくれています。
結果、そういう本を出せて、著者の方にも大変喜んでいただきました。

でも、これって、編集者がいなかったらどうなっていたでしょうか?

自分の物差しでクオリティレベルを判断し、そのまま出版していたら、このような結果は生まれていなかったはずです。
これだけいろいろと書き慣れている著者であっても、そのクオリティレベルを図りかねてしまいます。

逆にいうと、世のメルマガやブログ、情報商材、電子書籍など、ほぼ全てのコンテンツがそんな状態になっているように思います。

自分ではこれでいいと思っているレベルというやつですね。
ところが、そのレベルというのは、あくまでも及第点レベルであることが多く、読者をファン化させられるほどではありません。

そこを客観的に見て、自己満足のレベルから、さらにもうひとつ高いレベルに引き上げてくれる存在、そこに編集者の必要性を感じてしまいます。
何もプロの編集者である必要はありませんが、何かコンテンツを作った時、冷静な客観的な視点でクオリティレベルをチェックしてくれる存在を確保しておくことは、これからの時代に必要な気がします。

2015年6月23日火曜日

偶然ではなく、必然

ノウハウを情報として発信している人は多いですが、そのほとんどが情報を発信することが本業ではないと思います。
それ故、本人は情報として発信しているように思っていても、それが情報として成立していないことがほとんどです。

情報として成立していないとはどういうことか?

これは、もちろん伝え方や論理展開といった表現の問題もありますが、今回はそういうことではありません。
その情報に意図があるのかということです。

私は、出版のお手伝いを仕事としておりますので、本を出版したいという方が、たくさんいらっしゃいます。
そのほとんどが、自分が成功したので出版できると思い込んでいます。

もちろん、出版してどうにかなりたい人よりも、どうにかなったから出版して欲しい。
でも、そのどうにかなった過程に意図がなければ、それは情報としての価値がないということです。

多いのは、自分がやってどうにかなったので、その過程をノウハウとしてお伝えしたらいいと思っています。
しかし、重要なのはそこに意図があるのかということなのです。

どういうことかというと、その過程において、自分なりの仮説を立てて、検証を行い、成果が出たのかということ。

たんにやったら成功したというのであれば、それは偶然かもしれないし、運かもしれない、はたまた奇蹟かもしれません。
そうだとしたら、その情報に再現性がなく、そこには情報の価値はないということです。

実際、そういう人に原稿を書かせてみると、なぜそうなったのかを上手く説明できないため、薄っぺらい原稿になります。

逆に、しっかりと仮説を立てて、検証を行い、成果を出した人は、説得力のある原稿になるんです。
なぜそれをしなければならないのか、どうして成功したのかがしっかりと書かれているわけですからね。

なので、ノウハウを情報として発信される人は、是非、そのノウハウに取り組む前に仮説を立ててみてください。
「これをやったら、こういう理由で、こうなるんじゃないか」ということを考えて取り組むということです。
それで結果がでなければ、どこに問題があったのかを検証し、結果が出たら、逆のことをやってみて本当に失敗するのかを確かめてみる。
そうすることで、そのノウハウはしっかりとした裏付けを持つ説得力のある情報となります。

意外と、そういうことを考えずに、ただ自分の経験だけをベースに、あたかも成功ノウハウのように情報として発信する人が多いですからね。

情報を発信する場合は、必ず、仮説を立てて、検証を行い、成果を出してから、それを意図として情報を発信していきましょう。
そうすることで、読み手はあなたの情報に納得し、書き手であるあなたのファンになることは間違いありませんよ。